新国立劇場『シンデレラ』のこと [ステージ]
世界中のバレエ劇場は、この時期、『くるみ割り人形』『白鳥の湖』『シンデレラ』を上演すると他の演目は絶対に勝てないらしい。
そんなわけで、昨日14日(日)に、新国立劇場に『シンデレラ』を観に行ってきました。
バレエの『シンデレラ』(アシュトン版)のストーリーは少し設定が違う。といっても、継母が出てこないでお父さんが出てくることぐらいだけど。他のストーリーは童話のそれとほぼ同じ。
内容は特に書かなくてもいいと思うけど、とにかく華々しいというか、豪華である。その豪華なぶん、普段のシンデレラが不憫なんだけど。
このバレエで重要な役は、王子様とシンデレラはもちろんだけど、義理の姉がとても重要。
実は、義理の姉は男性ダンサーがやるのです。結構出ずっぱりで、物語を締め、かつ、柔らかくする重要な役目を持っている。なので、表現力の豊かなダンサーがやることになっている。
まあ、そんなにかしこまって書いても、この二人を観ているとても楽しい。
だから重要なんですよ。
あまりのハードスケジュールに疲労がMAXにあったので、1幕目で睡魔が襲ってきて(疲れてなければあり得ない楽しい一幕なんですよ)、休憩時間にアイスコーヒーで眠気を飛ばし、誰もが知っているストーリーが踊られていくのを楽しく最後まで観ることができました。
話はそれるけれど、新国立劇場のアイスコーヒーはストレートだと、とっても苦くて、ストローでよくかき混ぜるとこめかみが痛くなるぐらい冷たくできて、眠気覚ましには最適なのです。オペラなどで眠気に襲われたら、是非お試しあれ♪
『シンデレラ』本編の終演後、バレエ団の特別映像の上映会があり(つまり宣伝)、その後に、主演ダンサーであるシンデレラと王子様役のダンサーの握手会がありまして、今回は握手はしてもらわなくて、野次馬してました。
王子様役の福岡雄大氏のきらっきらの王子様メイクがとっても印象的でした。それと、意外と背が高くないのですよね。全く意外。
握手会は、上演期間中、毎公演後に行われるそうです。
昨シーズンの『くるみ割り人形』の時も握手会があって、その時は行列に並んで握手してもらったんだけど、実は王子様役の男性ダンサーのファンでして、困ったことに、ファンをしている=憧れの人、というわけでどんな言葉を出したら分からなくなってお互いに困る状態になってしまうのですよ。いい歳して。
でも、まま姉二人の握手会だったら、絶対に参加して、ぐっじょぶ!と声をかけたことでしょう(爆
『シンデレラ』は新国立劇場で23日の祝日まで上演しています。でも、チケットあるのかな?
クリスマスシーズンということで、劇場はそれらしく演出されていました。
(実は新国立劇場のマスコット的存在なんですね、このクマさん。普段は演劇公演の時に出没してます)
とにかく、家族で観に行って良し、カップルでも良し。さすがに一人だとちょっと寂しい。
でも、バレエ自体は文句なく楽しめる、クリスマスには良いバレエです。
劇団四季『contact』のこと [ステージ]
昨日は、仕事が佳境を迎え疲労困憊のなか、重い身体を引きずって浜松町は劇団四季の劇場「自由劇場」まで行ってきました。
今上演されているのは、『contact』。いろいろな表記があるけれど、これで統一します。
今回の公演はチケットを取るのが大変で、優先予約初日に40分かかって繋がって取れた席はあまり良くない席。
まあ、それでもセンターブロックなので前の席に身体のでかい男性がこなければいいか、と思っていたら、ダブルブッキングになっていることが判明。チケットを公式譲渡システムに出し、取り直した席は2階席。
ま、観ることができればそれで十分と。
それにしても、新国立劇場に浮気をしていて、劇団四季は久しぶりだなあと調べたら、8月の『ジョン万次郎の夢』以来の約3ヶ月ぶり。さらにその前は6月の『ソング&ダンス』でした。随分と観る頻度が減ったものです。あまり観たいと思う作品が上演されなかったんですよ。
そんな、久しぶりで、なおかつ疲労で頭が少々ぼーっとしているなか、客席に入った自由劇場。
2階席なのに舞台が近い。そりゃもう、物凄く。舞台にてが届くんなじゃないかとありえない感覚を覚えました。
前に『contact』を2階席で観たのは、多分隣の『秋』だったから、ここまで近くは感じなかった。
さて、前置きが長くなってしまいました。
今回の『contact』は今までの公演と違って、演出に加藤敬二さんの文字が!
キャストも常連の方から初役の人まで様々。
二階席は傾斜が急なので見下ろす感じが強いのですが、Part2(本来はローマ数字)まではそれがあまり気にならない。でも、いつもと何か違うなとは思う。
その理由がPart3で判る。
Part3の『CONTACT』は最初の十数分はマイケル・ワイリーの一人芝居が続くのだけど、その間は紛れもなく視点は一階席を向いていて、「やはり見下ろす席なんだなあ」と実感したけれど、家を飛び出したマイケルの後を追って、ダンスの世界が始まる一連の流れ、そして、ダンサー達のダイナミックなダンス!
このダンスが一階席とはまるで違う。ダンスの全体が見える。フォーメーション(でいいのかな?)が全て一視野に入ってくる。これが素晴らしい。今思い出すと、鳥肌が立ってきそうなぐらいに、見事にダンサーそれぞれが自由にダンスしているようにみえていたものが、ここまで振り付けが一つの統一されたストーリーを描き出しているのが、全てみえたのには本当に驚いた。
絶対に、一度は二階席で観ることをお勧めする!
田邊君のマイケル・ワイリーは、冒頭の表彰式のシーンこそ、大丈夫かな?と思ったけれど、自室に帰ったところからは、完全にワイリーだった。下手なダンスも、一気に上手くなるダンスステップも、ワイリーになりきっていた。
敬二さんから世代交代したわけだけど、この『contact』、いつ初演されたんだっけと思ったら2002年だったんですね。初演以来、敬二さんのワイリーしかみたことがなかったけれど、確実に世代交代が進んでいることを実感する。劇団四季はカリスマ依存体制から集団指導体制になっていくのだろうか。
この『contact』、ダンス・ミュージカルと書かれているけれど、観ていて、これは「ダンス・プレイ」と呼ぶべきだな、と思っていたらパンフレットの中の文章には「ダンス・プレイ」と書いてあった。歌っていないしなどという理由ではなく、ダンスで全てを表現しているから。久しぶりに、作品の言わんとするところに合致したなあ。
今回みたいに二階席だと、主にダンスの要素が目に飛び込んできて、ドラマの部分はあまり入ってこない。その辺は一階席でないといけないのかもしれない。いつも思うんだけど、舞台芸術は最低二回は観ないと分からない部分があるし、だからこそ、また観たいという思いが湧くのだと思う。実際にはかなりの困難があるけれど。
今回のコンタクトは、一回目は一階席で。二回目は二階席で観ると、とても美味しい料理を味わった気分になれると思う。
エントリが時間をすっ飛ばし、バレエと歌舞伎の書いていないですが、それはもう少し負担が減ってからに。日々、印象は薄れてしまうのだけれど、1本のエントリを書くのに実は1時間ぐらいかかるので、なかなか書けないのです。書こうとは思っているのだけど、気力が続かない状態。気長にお待ちくださると幸いです。
加藤健一事務所Vol91『ブロードウェイから45秒』 [ステージ]
11月11日、ポッキーの日。
仕事を終えたその足で、紀伊国屋サザンシアターで上演されていた、加藤健一事務所の第91回公演『ブロードウェイまで45秒』を観に行ってきました。
あまり行かない劇場なので、「どの席でもいいや」と、チケット発売初日に電話予約し、翌日月曜日にお金を振り込んだら、なんとまあ、最前列の席が取れました。
「あちゃー、最前列かいなorz」となりました。最前列は、役者さんの目の前でつばとか飛んでくるすごい席なんだけど、舞台の全体が観えず、おまけに劇場によっては舞台をみあげる席になってしまう。
サザンシアターは、それほどきつくなかったけれど、やはり少々みあげる席。でも、舞台からの距離がすこしあって、最前列の役者さんと目が合っちゃうような恥ずかしいことはなくて、意外と悪くない席でした。
ところが、前日月曜日の茨城でのとんでもない仕事に加え、当日も仕事をしたあとということもあって、疲れと寝不足のダブルパンチの結果、ウトウトとしてしまいました。意識がはっきりした時には、話のつながりが全く分からずorz
何よりも、最前列なのに、頭をカックンさせて寝ていたという恥ずかしさ、それ以上に舞台上の俳優さんに大変失礼なことをしてしまって大反省m(_ _)m
意識がはっきり戻ってからの話はとても面白く、舞台は終わりました。
しかし、面白かった舞台なのに寝てしまったことに自分に納得できず、劇場を出てすぐに事務所に電話をかけ、金曜日(14日)の夜の公演のチケットを取ったのです。
翌日に歌舞伎を観るので休養のため空けておいた時間を使って、観に行ってきましたよ。
この日も仕事は当然あり、ちょっと遠方の仕事だったので仮眠など取れず、眠い目をこすりながら、電車に乗って劇場へ。
あ、粗筋の話とかしていなかった。
このお芝居は、ブロードウェイまで45秒の距離にあるホテルの中にあるコーヒーショップが舞台。なので、俳優や劇作家、プロデューサーなどが集まるリーズナブルな、気のいい夫婦が経営しているコーヒーショップ。日々いろいろな客が集まる。
これ以上を簡潔にまとめる自信がないので、他のブログを検索してください(爆
取れた席は、中央通路に面した席。15列目なので少々遠いけれど、舞台全体が良くみえる。
で、開幕。ここまでは記憶があるな〜、と観ていたけれど、しばらくして記憶がない場面が登場。
これが結構長かった。20分ぐらいは寝ていた模様。そりゃ、前後のつながりもわからなくなるわけだ。
で、不思議なのは、寝るような話ではないこと。最後まで、しっかり楽しめました。
舞台の細かいところは、前回観たときに記憶していたし、なかなかに面白い。
あ、寝てた人はいましたが(爆
楽しく観ているうちに、あっという間に終幕。
疲れはひどかったけれど、充実した気分で帰宅。
実は、翌日の歌舞伎でしんみりとした場面ではまたまた寝てしまった(その場面を楽しみに観に行ったのに)ところをみる限り、疲労が原因かと。
あと2週間、なんとかできれば山を完全に越えるので、頑張ろう。
ちなみに、加藤健一事務所の次回公演は、シェイクスピアの『ペリクリーズ』!
加藤健一事務所でシェイクスピアが観れるとは!
『ペリクリーズ」はまだ観ていないと思うので、来年の2月が楽しみだ。
本を買ってきて予習しなきゃだね。
新国立劇場バレエ『眠れる森の美女』のこと [ステージ]
11月8日に、新国立劇場の今シーズン最初のバレエ公演『眠れる森の美女』(新制作)を観に行ってきました。
さて、『眠れる森の美女』のお話。
この演目が決まって気がついたこと。
『眠れる森の美女』ってどんな話だっけ?
と言う、身も蓋もない話。
かすかな記憶を辿ってみても短い文章しか思い出せず、この童話でバレエができるのか?と思っていました。
その疑問が氷解したのは、実は公演前日の夜。
新国立劇場のバレエ部門のHPに書いてあった前回のヴァージョンの詳しい粗筋を読んで、「なるほどこれならバレエにできるわ」と安心。
まあ、自分で本を読んでいれば良かったという話で、大人向けの原著だと、子供向けの童話に書かれていない部分はかなりエグいらしい。童話ってほとんどそうですよね〜。
で、観てみた感想。
なんというか、華やかなんだけれど、派手ではない。しかし、バレエの相当なテクニックが必要とされる振り付けだな、ということ。かなり前の方で観ることができたので、細かい動きのテクニックとか観ていられたのです。
物語は単純だけど、女の子が観たら、目がキラキラしちゃいそうなバレエに仕上がっていました。
大人はどうかなあ。バレエの人たちのことはわからないや。
でも、新国立劇場バレエ団のバレエは安定していて、観ていてヒヤヒヤしないで、ゆったりと観ることができました。
一人、こけちゃった人がいましたが、バレエの床ってすごく滑りやすいんだそうです。今回はなかったけど、スモークなんて出しちゃった日には、相当に気を使うんだそうです。
さて、今年の新国立劇場のバレエは各々一回しか観る予定がないので、のめり込んで観ることができませんが、大原バレエ部門芸術監督の創るバレエ、どんなバレエになるのでしょうね。
おお、そういえば、今日は従姉妹一家に招待券をあげた日でした。チケット完売の日だったんですね。
まだ今日のバレエは始まっていないけど、どんな気持ちで待っているのかな。
楽しんでもらえれば、それで良いんだけど、いつも食べ物のお礼を従姉妹が送ってくれるんだけど、むしろ、娘さんたちの鑑賞した感想文とか書いて読ませてくれたら嬉しいんだけどなあ。
国立能楽堂平成二十六年十月企画公演 古典の日記念<雪景色> [ステージ]
10月の31日には国立能楽堂に行ってきました。
他の日に行けなかっただけなんだけど、たまたま当日は「古典の日」の公演とかで、『雪景色』といった副題の着いた、いつもとは違った演目構成でした。
まず、狂言の小舞を二曲。
『雪づくし』と『雪逍遥』
なんで、狂言に舞踊があるのかと、前から「?」だったのだけど、この舞の中に、狂言の所作が含まれており、舞を身体に覚え込ませる事によって、あの狂言の舞台が出来上がるのだそうだ。
短い休憩を挟んで、舞踊と箏曲の合作による新作『鉢の木』
能の『鉢の木』から創られた作品だが、日本舞踊も箏曲も単独では接した事が無い。どちらも起源は歌舞伎なのらしいので、少しは接しているわけだが。
………やはりだめでした。初めの10分ぐらいは起きていたんだけど、後は爆睡。疲れもあったけど、まだまだ精進が足りない。接点が無いからなあ。
そして、今日の最大の目的、能『雪』。
金剛流だけに伝わっている曲で、珍しい曲なのだそうな。
旅の僧が女に出会い、その女は実は雪の精で、天に召されたいと言う。
舞はかなり大きく動くのだが、静かな動き。足拍子も音を立てない。だって雪の精だから。
かれこれ踊るうちに、天に召されるという曲。とてもおもむきがある曲で、また観る事が出来ることがあるかなあ。
今回使用された面は『雪の小面』。なんと、豊臣秀吉愛蔵の三体の一つ。金剛流の秘宝なのだそう。
道理で、山の作り物から出てきた瞬間に、面に表情がある。さすがは、金剛流宗家だと思ったら、面自体がそう言うものだったのか、帰りに一人合点。400年の歴史を過ごしてきたものには、ただそこにあるだけで大きな存在感がある。その上に、宗家の至芸が加わると、さすがにいつもとは違う演能になる。
仕事のおかげで毎日5時起床の疲れで、「もつかなあ」と心配していたのだけど、あっという間の55分間でした。
能の鑑賞はしばらくお休み。次は1月になる。12月に入れば身体が楽になるけれど、能は間があいちゃうと、謡がさっぱり耳に入ってこなくなるので、どうなる事やら。
あ〜、宝くじかtotoBIG、あたらないかなあ。そうすれば隠居して、各種舞台と放送大学に集中できるのだが。
それと、時々、金剛流の能を観るためだけに京都に移住したくなる。
でも、仕事は無いし、夏は暑いから無理かな。やっぱり宝くじだな。
『なば缶三本目』のこと [ステージ]
昨日29日は仕事の後に、声優の生天目仁美さんプロデュースの演劇である『なば缶三本目 君が眉毛を剃った日』を観に行ってみました。
最初に行っておくと、タイトルと芝居の内容は全く関係ありません。それ以上の芝居の無いようには触れません。だって、知らないでいった方が絶対面白いから。
去年(あれ?違ったっけ?)、『なば缶二本目』を観に行ったんだけど、正直に言わせてもらうと、「大人の学芸会(悪い意味で)だな、こりゃ。」と、観ているこちらの方が恥ずかしくなってしまいました。厳しいことを言うけれど、事実は事実。
『なば缶一本目』はチケットを入手していたんだけど、行けなかったのでどんな舞台だったかはわかりません。
でも、そんな感想を持ちながら、しっかり『なば缶三本目』のチケットを入手したワタクシ。
なにか、期待できるものを少し感じてはいたんだね。
そう言えば、チケットの購入で、発売元にご迷惑をおかけしてしまった。ここでお詫びします。済みませんでした、と同時に、チケットを無事購入させていただき、有り難うございました。
前置きが長くなったけれど、『なば缶三本目』、しっかりとした芝居になっている。飽きる事が全くない2時間。
舞台俳優歴が長い役者さんがたくさん出ていて、舞台の要所要所を引き締めていたからだと思う。舞台装置もしっかりとしたものがつくられていたし。
パンフレットを読んでいたら、なば缶の公演は日によって「芝居」が変わるらしい。脚本が変わるのではなくて、演技や芝居の流れとか。そいうのもあまり無い事なので、複数回観て観たかったな。知っていたら、複数回のチケットをとったのだけど、悲しいかな、観に行ける日が無いのです。
芝居の無いようには触れられないので(まだ初日が開いたばかりだし)、このぐらいしか書けないけれど、観て損は無いと思う、というか、観に行って客席を満杯にして、グッズも買って、この公演が赤字にならないようにしてください。
この「三本目」で『なば缶』は、一時お休みにするらしいけれど、いつかまた「四本目」を創ってほしいです。
最後に、アンケートで、ちょっと失礼な表現をしてしまい、『なば缶三本目』にかかわった皆様にお詫び申し上げます。すみませんでした。
あと、なばさん、『なば缶三本目』が終わったら、しっかり身体を休めてくださいね。ものすごくやつれていて心配しました。舞台を一つ創り上げる事は、とても大変な事なのですね。
『駆け込み訴え』のこと [ステージ]
太宰治の短編小説に、イスカリオテのユダを主人公にした『駆け込み訴え』という作品がある。
短編なのであまり長くないが、全編がユダの独白で綴られている。
いわゆる「ユダの裏切り」のまさにそのものの描写である
あ、主人公がユダであることは最後にわかるんだけど。
劇団四季のミュージカルの中の重要な作品に、『ジーザス・クライスト=スーパースター』という作品がある。
この作品の中では、ユダはいわゆる「狂言回し」の役を勤める。もちろん、ユダヤ教の司祭にジーザスを売る場面があるわけだが、その場面をユダ側から描写している作品が、ミュージカルの出来る遥か前から存在していたわけですね。
今回観た『駆け込み訴え』は、劇団四季でユダ役を務めたキムスンラさん(劇団四季での芸名は金森勝)が一人芝居で上演したものです。
劇団四季のJCSで、スンラさんのユダを観た時の衝撃は今でも頭の中に見事な映像となってよみがえってくる。それまで長らく観て慣れていたキヨミチのユダとは全然違う。まるで、本物のユダの狂気じみた状態に追い込まれていく姿が乗り移ったような、とにかく強烈な印象をもったものだ。
その時は、自由になる時間がたくさんあったので、東京公演で10回以上。続く京都公演も5回は観た。
観るたびにどんどん引き込まれていく。でも、冷静になると、身体が持つのだろうか?と毎回カーテンコールまで、ヒヤヒヤしながら観てもいた。
一言で言うと、『一人の人間としてのユダ』が表されていたように思う。
翻って、今日観た『駆け込み訴え』。
これは元々、太宰が人間の本性を描いたような作品で、『スンラさんのユダ』はそれそのものであった。
人間であるユダが、人間であるジーザスを敬い、愛し、ジーザスがおのれのすべてだったユダが、ジーザスに「裏切る」と宣告され、すべてが爆発し、絶望し、駆け込み訴えを行う。
観ていて辛かった。ユダの悲しみ、悔しさ、絶望、多くの負の気持ちが伝わってきて辛かった。
でも、観に行ってよかった。この作品に立ち会えたことがうれしかった。
まだ、20日の14時からの公演があるので、時間がある人は是非、観に行ってほしい。
場所は、遊空間がざびぃ 、当日券があるはず。
ところで、キムスンラさんとの一方的出会いは、かなり昔にさかのぼる。
劇団四季でいまでも折に触れて上演されている「ソング&ダンス』シリーズの『オーバーザセンチュリー』と副題がついた、ちょうど20世紀と21世紀にまたがった時期に上演されていた中で、まだ四季に在籍されている明戸信吾さんとの二人での日本未上演のミュージカルナンバーの一部(ここら辺、曖昧です。パンフレットが見つかればちゃんと書けるんだけど)を歌ったところに、『劇団四季にはこんなに歌える人がいるんだ』と驚いたとき。
他の作品にもすでに出演されていたはずが、まったく気がつかなかった。
それ以来、気になって、パンフレットに名前が載っていると喜んだものだ。
キャッツの、こんなのやってられねーぜっと、やる気の無いラムタムタガーも良かったけれど、他の作品は出演されている作品は『ライオンキング』のスカーか。あれも良かった。
でも、劇団四季からは離れたわけで、これからは色々な活動をされるはず。
舞台とかは観に行けるものは観に行きたいと思う。
チケットぴあからの知らせメールで『twelve』を知り、出演者にスンラさんが四季を退団されていたことを知り、『twelve』を観て、その時にこの『駆け込み訴え』を上演されるのを知り、観に来れてよかった。
運が良かったです。
しかし、今日、男性客が私一人だけだった。
う〜ん、複雑な心境。
とりあえずスンラさんのHPへのリンクを貼っておきましょう→こちら
十月大歌舞伎 [ステージ]
10月11日、今回の歌舞伎は、十七世中村勘三郎、十八世中村勘三郎追善公演。
お昼の部を観てきました。
一番目は、『新版歌祭文 野崎村』
悲しいお話ですが、何回か観ているはずなんだけど、初めて観た感じ。前に観たのは人形浄瑠璃文楽でかな。
恥ずかしいお話ですが、私用仕事でまったく休みがなかったので、途中からうとうとしてしまいました。
でも、ラストシーンの七之助さんのお光の悲しさが身体中から出ているのは、観ていて悲しく、つらかった。
そしてお昼ご飯。奮発して
とても美味しかったけれど、これ、幕間のお食事どころで出している料理を紙のお弁当箱に詰めただけじゃないかな。
中幕は舞踊二本立て。
『近江のお兼』
お馬さんが出てきて愉快な舞踊でした。
『三社祭』
平成中村座で観た舞踊。でも、なんかかなり違うような。
舞踊はよくわかりません。なのでイヤホンガイドを聴きながら観ているんだけど、そうすると清元や義太夫が聴き取れないんですよね〜。
お昼の部、最後の三番目は
『伊勢音頭恋寝刃』
これは人形浄瑠璃文楽では観のがした狂言。
世話話が続く前半に対して、後半の凄惨な場面。カラーがまったく変わり、見応えがあります。
仁左衛門さんや玉三郎さんが脇を固めて、芝居にアクセントがついております。
玉三郎さんの万野の意地汚さが良く出ていて面白い役です。
玉三郎さんの舞踊以外の役を観るのは久しぶり。とても面白く演じてらっしゃいます。
あ、以前に「めいぼくせんだいはぎ」(漢字がわからない)では、乳母の役をしっかり演じていましたね。
美輪明宏版『愛の讃歌』 〜エディット・ピアフ物語〜 [ステージ]
イブ・モンタンのへの台詞
愛は与えて、与えて、与えるもの。見返りなんか求めちゃいけないの
ボクサーのマルセルの「歌手ピアフ」ではなく、エディット自身そのものを愛する。
そのマルセルの死をこらえての「愛の讃歌」の絶唱。
涙が止まらなかった。自分が惨めで惨めで。
私は『愛』という物がどのような物か全く解らない。
幼少の頃は、橋の下から拾ってきた子供と、親兄弟から言われ、
母親には、何かやろうとすると、そんなことは出来ない。やるだけ無駄だ。やめておけ、と言葉の暴力を浴びせられ続けた20年。その言葉を無視して成功すると、「ほら、けなされれば、それだけ、なにくそと思ってやるんだよ」と成功したのは自分のおかげと言わんばかりの態度。
父親は、こちらには顔を向けず、言葉もかけず、盆栽をいじる背中を見せるだけ。自分には父親という物の存在もよくわからない。
同じような経験がある。もう、5年ぐらい前になるか。広島まで、ミュージカルの『美女と野獣』を観たとき、白を教われている時に、ミセスポットが野獣に『愛することを知ったのね』という台詞を聴いて、涙がわき出して止まらなくなってしまった。どうしても涙が止まらず、幕が降りるまで泣き続けた。
私は、愛がどういう物か解らない。
それは、今も変わらず、どんな物なのか追い求めているが、最近は、もう諦め始めている。もう、年月を使いすぎた。
現実の世界では、人はよってきても必ず裏切り離れ、見捨てていく。
絶望は本当に深い。
新国立劇場バレエ『ファスター』『カルミナブラーナ』 [ステージ]
この2週間の週末、こころはバレエに捕われておりました。
順序は変えて『カルミナブラーナ』から
今回の上演が日本での三演目。
初演の時の衝撃、ショックはよく覚えている。
照明が落ちて幕となっても客席は沈黙したまま。その沈黙は一瞬だったのだろうけど、いつまでも続きそうな気さえした。
しかし、我に帰った観客の割れんばかりの拍手。
あの時のように圧倒されたのは、過去もあの時からもなかった。
再演を観た時は、心構えが出来ていたので放心状態になることはなかったけれど、バレエの振り付けとか重要な部分が解っていなかった。
再々演目の今回は、劇場一階席のちょうど中心の席だったので、細かいところは無理だけど全体を観るにはとても良い席だった。
幕が開くと、女神フォルティナのやたら複雑な振り付けも、あそこまで複雑かつダイナミックだったんだ、と感心。
三人の神学生の各パートも頭の中にあったものとかなり違う。
一つの作品を理解するのは思ったより難しい。
結局、今回も圧倒されてしまった。
しかし、観客もかなり慣れて来ましたな。
各パート間の拍手も出るようになったし、最後の暗転で幕、となると割れんばかりの拍手。
新国立劇場であれだけの拍手が出たのは、自分の拙い記憶では初めてだ。
そして二回目、公演最終日。
次の四演目となる再再々演はいつになるのかな。
芸術監督が変わり、「古典への回帰」を打ち出しているので、ちょっと予測が出来ない。
実際に観に行けたのは2週目の2回だったのですが。1週目は体調不良で行けなかった。
以下、観た直後に感じた感想を色濃く表している下書きをあまり変更せずに。
順序は変えて『カルミナブラーナ』から
今回の上演が日本での三演目。
初演の時の衝撃、ショックはよく覚えている。
照明が落ちて幕となっても客席は沈黙したまま。その沈黙は一瞬だったのだろうけど、いつまでも続きそうな気さえした。
しかし、我に帰った観客の割れんばかりの拍手。
あの時のように圧倒されたのは、過去もあの時からもなかった。
再演を観た時は、心構えが出来ていたので放心状態になることはなかったけれど、バレエの振り付けとか重要な部分が解っていなかった。
再々演目の今回は、劇場一階席のちょうど中心の席だったので、細かいところは無理だけど全体を観るにはとても良い席だった。
幕が開くと、女神フォルティナのやたら複雑な振り付けも、あそこまで複雑かつダイナミックだったんだ、と感心。
三人の神学生の各パートも頭の中にあったものとかなり違う。
一つの作品を理解するのは思ったより難しい。
結局、今回も圧倒されてしまった。
しかし、観客もかなり慣れて来ましたな。
各パート間の拍手も出るようになったし、最後の暗転で幕、となると割れんばかりの拍手。
新国立劇場であれだけの拍手が出たのは、自分の拙い記憶では初めてだ。
そして二回目、公演最終日。
席はなんと最前列。
バレエは最前列で観るものではないなあ、と思う。
一つの焦点に視線が固定されてしまい、全体を観ることは当然出来ない。
利点は、ダイナミックなダンサーの織りなすダンスを目の前で大迫力で観ることが出来ること。細かい振り付けやダンサーの動きがはっきりと見えること。
今回も新しい発見がたくさんありました。
もし、2回以上観ることが出来るのであれば、初めは真ん中のあたりで全体を把握して、二度目は出来る限り前で細かいところを観る、ということが出来れば良いね。
「カルミナブラーナ」の物語は、たくさんの人が詳しく書いていると思うのでちょっとだけ。
テーマは『聖から俗に落ちる』というところか。
三人の神学生が、遊び、食欲、性欲といった俗の世界に溺れるさまを表している。
その黒幕が、女神『フォルトゥナ』。最後にはクローンも現れて空間を支配する。
そんな感じ。とんでもないはしょりようだけど、音楽作品としての本家『カルミナ・ブラーナ』を解説してあるのを見つけると良いかもしれない。
次の四演目となる再再々演はいつになるのかな。
芸術監督が変わり、「古典への回帰」を打ち出しているので、ちょっと予測が出来ない。
おっと、危なく忘れるところだった。
今回の『カルミナブラーナ』、上演時間が短いのでもう一つのバレエがくっつくことが多い。
今回は『ファスター』という、デヴィッド・ビントレーがロンドンオリンピックのために振り付けた小品がつきました。
テーマは、オリンピックのモットー『より速く、より高く、より強く』で、色々な競技をモチーフにした振り付けがなされていた。
どの競技がモチーフになっているかはとても判りやすく、観たまんまである。
しかし、これは何のイメージだろう?と判らないパートがあり、これがオリンピックのモットーそのものを表しているのかな、と思っている。
最後のシーンでは、みんなが走り続ける。短距離、長距離、競歩、マラソンを表しているのですね。なんと8分間走り続ける振り付けだったそうで。
この作品も躍動感にあふれ、気分が高揚してくる。その後に『カルミナブラーナ』のハイテンションにつなげていくのだから、すごいですよ。
ビントレー芸術監督のシーズンも、後は『パゴダの王子』だけ。
場所は日本だけど、やはりアジアにある無国籍なステレオタイプがあるのはしょうがないのかなあ。